お寺は必要か
毎月1回、月命日にお経を唱えに来てもらう。
15分位でお布施を5000円支払う。
法事の際はもうちょっと多めに支払う。
お葬式があればお通夜、告別式、繰り上げ法要と葬儀会場に3回、各1時間程度来てもらって合計40万円を支払う。
(坊さんは100円でも1億円でもいくらでもいいというが、葬儀屋から「ここのお寺の相場は40万円です」と耳打ちされる。)
お寺の総本山でなんだかのイベントがあるからと振込用紙が送られてくる(これは払っていない)。
納骨堂の管理費をある時から急に要求されるようになった(納骨堂を買った時にそんな話は一切なく、途中から管理費が発生することになった理由等の説明が一切なかったのでこれも払っていない)。
そもそも、お寺って必要なんだろうか?
昔はお寺と言えば死者の供養をするだけでなく、地域の学校であり、病院であり、裁判所であり、人々の中心とも言える存在だったようですが、現代では死者の供養をするのみです。
ひねくれたものの見方をすれば、家族の死という人の弱みにつけこんで高額な請求をする悪徳ビジネスのようにも見えてくる。
成仏、
天国、
地獄、
私は丹波哲郎のようなスピリチュアルな世界があるとは思っておらず、死後はただただ「無」であると思っているので私が死んだ時の葬式は坊さんが来なくてもいいし、家族だけでシンプルに送り出してくれればそれでいい。
骨は海にでも撒いてくれればいいんだけど、そこは法律的に難しそうなのでどこかしらの共同墓地?みたいなのに入れてもらってもかまわない。
そんな考えなので、お寺は別になくてもいいかなと思っていました。
祖母の葬儀を終えて
母方の祖父母はまだ学生の頃に亡くし、父方の祖父は6年前に亡くなり、そして先日祖母が亡くなりました。
享年95歳。
90歳位から肺に水が溜まるようになり、入退院を繰り返しつつ、最後は施設に入っていましたが認知症状はほとんどなく頭はしっかりしていました。
子(私の両親)、孫(私と妹)、ひ孫と、皆近所に住んでいてよく顔を出しに行ってましたし、亡くなる間際も長く苦しむようなことはなかったようですし、大正生まれの大往生ですから悔やむことは何もないと思っていても、実際はそんな簡単に割り切れるものではないわけで。
そんな時にお坊さん登場。
枕経というのを唱えてもらいます。
お経に意味があるとは今でも思っていませんが、それでも人の死に慣れている人が来て少し話をしてくれるだけでなんかちょっとホッとしている自分がいました。
とはいえ坊さんより葬儀屋(今回はベルコ)の方が頼りになったし、やっぱ個人的に祈るのは神社の神様だけでいいかなと思っています。
お葬式の後の手続き諸々
死亡届を出したり、水道光熱費等の支払い方法の変更(死亡により銀行口座が凍結してしまっているので普段銀行引き落としになっているものが引き落としできなくなってしまっている)をしたり、年金の手続き、後期高齢者なんとかの手続き、などなど、人が死ぬとやらなければならないことがたくさんあります。
これは全てうちの親父殿が自分で調べて順々にやっていったわけですが、各種手続きを半分くらい終えたところで市役所の水道の窓口の人から、
「ところで、1番の窓口には行かれましたでしょうか?」
いえ、行ってません。
「そこに人が死亡した際に必要な手続きの一覧表があるのですが。」
はぁ?となった親父殿は水道の担当者と一緒に一番窓口に行ってみると、非常にわかりやすくできている一覧表があるではありませんかw
市役所内でももう何か所か手続きをしたのに、そんないいものがあるなんて誰も教えてくれなかったし、年金のことなんて東京のどこだかに電話をしたらこっちから書類を送ると言われたその書類が市役所にも置いてあるし、最初にここに来ていれば楽だったのになー。
なんだかなー。
と言ってました。
自分であれこれ調べて先走るより、まずは市役所や役場に行って、必要な手続きについて詳しい人や一覧表などがないか確認してみるべきだと思いました。
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